梟の啼く夜






 


闇夜だった。
逃げるには最適の、月の無い夜だった。
その闇に紛れて、山の中を分け入っていく人影が六つ。
大人のものと思われる人影と、子どものものであろう小さな人影が三つずつ。
時折、後方を気にしている。
子ども達を守るかのように、前と後ろに、屈強な体躯の男が一人ずつ。前方の男は道を歩きやすいように整え、後方の男は整えた道をもう一度荒らすようにしながら歩いている。
女に手を引かれた幼い少年が、怯えているような声で後方の少女に声をかけた。
「……ねえさま」
「黙って。真っ直ぐ歩きなさい」
きつい口調で、姉と呼ばれた少女は声を潜めて言った。少女の隣の少年は、周囲を見回しながら尋ねた。
「でも、姉さま。ここは葛城山では?」
「葛城山だったら何だというの」
少女は歩みを止めることなく、問い返した。
「土蜘蛛が……!」
少年は思わずそう声を上げてしまう。慌てて口元を覆った。だが、その言葉に、前を歩いていた幼い少年の足が止まる。
手を引いていた女が、優しい声音で「弘計をけ様?」と、声をかけると、こらえきれなくなったのか、弘計は声を上げて泣き出した。
「つちぐもがでるよぅ」
その言葉に、もう一人の少年の足も止まる。少年は、蒼白な顔で少女を見つめる。
少女は立ち止まると、幼い少年の前にしゃがみこんだ。安心させるように、ふわりと優しい笑みを浮かべる。
「泣かないのよ、弘計。姉さまの名の由来を知っているでしょう?姉さまは梟なのよ。夜目が利くの。土蜘蛛が出たら、すぐに気づくわ」
任せなさい、と少女は胸を叩いた。そして、傍らに立つ少年の震える手を強く握った。
億計おけも、そんな顔をしないで」
「でも……」
「大丈夫。そんなに怖いのなら、姉さまの手を握っていなさい。姉さまが守ってあげるわ」
少女は弘計の涙を拭うと、弘計の手を握った。そして、隣に立っている億計に手を差し出す。戸惑っていた億計だが、やはり怖かったのであろう。強く少女の手を握り返した。
少女は女に頷いてみせる。女もそれに頷き返す。
一向は、再び闇の中を歩き出した。


「ここまでくればもう大丈夫ね。砂夜女さやめ熊足くまたり、どうか二人を頼みます」
山の中腹を幾らか越えた辺りで、一向は立ち止まっていた。少女は、女と前方を歩いていた男に二人の弟を託した。
熊足は無言で頷く。けれど、砂夜女は目に涙をためて、少女の手を取った。
皇女ひめみこさま」
「あなたが泣いてどうするの。あなただから、二人をお願いするのよ」
少女は砂夜女のその姿に苦笑を浮かべる。母のように、姉のように、幼い頃から面倒をみてくれた女官だった。
別れるのは辛い。だが、父も母も亡い今、弟達を預けられるほど信頼出来る人間は、砂夜女の他にいなかった。
熊足に肩を抱かれていた億計は、
「姉さまは行かないのですか」
と尋ねた。少女は、寂しそうに微笑むと頭を振った。
「母さまがいない今、姉さまには家刀自いえとじとしての役目があるわ。大丈夫、落ち着いたら会いに行きます。弘計、億計の言うことを良く聞くのよ。泣いてはだめ。億計、弘計を守ってね。何かあったら、二人で協力するのよ」
二人に言い聞かせるようにゆっくりと、少女は言葉を紡いだ。
億計は、その少女の言葉に何かを察したのだろう。瞼の裏に姉の表情を焼きつけようと、じっと少女を見つめた。
そして、何事かを決心した瞳で呟いた。
「姉さま、お元気で」
「億計も。無事に辿り着くよう、姉さまは祈っているから」
「ねえさまあ」
幼い弘計は、少女に抱きついた。少女も、弘計を抱きしめ返す。
少女は、込み上げてくる熱いものを、必死でこらえた。
「さあ、お二人とも行きましょう。夜が明けないうちにたどり着かねば」
砂夜女は、弘計の肩を叩いた。ぐずる弘計の手を握る。
「砂夜女。二人をどうか」
「お任せ下さい。皇女さまこそ、お体をお大事に。速男はやお、皇女さまを無事にお邸まで」
砂夜女は、少女をじっと見つめると、後方を歩いていた男に向かって厳しい口調で言った。
「大丈夫だよ、姉さん」
速男は、真剣な眼差しで頷いた。
四人は、山を更に登って行く。
弘計と億計は、何度も何度も少女の方を振り返る。少女は、その姿をじっと見つめていた。背中が見えなくなるまで、ずっと。


「皇女様、戻りましょう」
どのくらいの間そうしていただろうか。正確には、ほんの数分足らずであっただろう。速男に声をかけられた少女は、頷いた。
「来た道を戻るのでは、追っ手に気づかれてしまうわ。少し、遠回りして山を下りましょう」
「ですが、それでは土蜘蛛に……」
心配そうに問いかける速男に、少女は微笑んでみせた。
「あなたまでそんなことを言うの?大丈夫よ」
その笑みが、あまりにも安心させるものだったので、速男は思わずその言葉に従ってしまったのだった。


二人は無言のまま、闇の中を歩いていた。だが、しばらくして茂みから物音が聞こえてきた。
速男は、すかさず少女を自分の背中に隠した。
「土蜘蛛……?」
囁くような少女の言葉に、速男は息を飲む。その音は、後ろにいる少女の耳にもよく聞こえた。
だが、茂みの向こうから現れたのは、土蜘蛛のように屈強な男ではあったが、土蜘蛛ではなかった。
男は、驚いたようにこちらを見ている。
「まさか、こんなところで」
そう呟くと、後方に向けて合図をした。闇を裂くように、犬笛が辺りに響き渡る。
男は、にやりと口の端を歪めて笑った。
「悪く思わないでくれよ、皇女さん。これも、大長谷おおはつせ様のご命令でねえ」
言葉とは反対に、全く悪びれた様子も無く男は言った。
そして、言うが早いか速男に襲い掛かった。速男は、少女を軽く突き飛ばすと、腰に佩いた太刀を素早く抜き、男の太刀を受け止めた。
二人は、見合ったまま動かない。速男は、相手の腹に蹴りを入れた。
男が、茂みに倒れ伏す。
「さあ、皇女様」
速男が少女の手を取り、駆け出そうとした瞬間。前触れもなく、速男が前のめりに倒れた。
「速男!」
何が起きたのか分からぬまま、少女は速男を抱き止めた。ぬるりと、生温かいものが手に触れた。
―――血だ。
速男の背には、深々と矢が刺さっていた。
「速男、しっかり!」
少女の声が聞こえたのか、速男はぴくりと肩を震わせた。
速男は何事かを呻くが、少女は何を言われているのか理解出来なかった。
茂みの向こうで、弓を構えている男と目が合った。男は、今度は狙いを少女に定めようとしている。
射るのならば、射れば良い。
父も母も亡くした。弟たちとも、もう二度と会えないだろう。
ここで自分の命を失っても、嘆くことは何も無い。
失うものは全て失ったのだから。この手には、もう何も残っていないのだから。
少女は、男をじっと見据えた。
少女の毅然とした態度に、男はたじろぐ。だが、力いっぱいに弓を引き絞った。
(父さま。母さま―――!)
少女は、固く瞼を閉じた。
だが、次の瞬間痛みは襲ってはこなかった。
恐る恐る、少女は目を開ける。そこには、大きな男が立っていた。少女に背中を向け、左手には、矢を握っている。それは、少女に刺さるべき矢であった。
男は、大男を驚愕の目で見つめている。
「つ、土蜘蛛……!!」
叫ぶやいなや、男はその場から駆け出して行った。
男が逃げたのを見送った大男は、少女の方にに向き直った。そして、速男に向かって手を差し出した。
だが―――。
「触らないで!」
少女は、大男を睨みつけた。
何をされるのか分からない。そんな不安があった。
少女の言葉に、大男の動きが止まる。
すると、大男は長い手を宙に彷徨わせ始めた。
身振り手振りで、必死に何かを伝えようとしている。
少女は男の瞳をじっと見つめる。その瞳に、危害を加えようとする意思が見えないことに安堵し、少女は尋ねた。
「助けてくれるの……?」
男は、その言葉に大きく首を縦に振ると、歯を見せて笑った。
そして、速男を担ぎ上げると、少女について来るよう促したのだった。


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2005.09.04 up

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