こんぺい糖 2





どのくらい歩いただろう。
歩き疲れた僕は、休むのにちょうど良い岩陰を見つけたので、そこに腰を下ろすことにした。
ひんやりとした冷たい感触の岩に背中を預けながら、鞄を見つめる。鞄の中には残り三粒となってしまっスこんぺい糖の瓶が入っている。
鞄を見ないように意識して視線を逸らそうとするが、僕の目は言うことを聞かず、そちらをじっと凝視していた。
不意に視界の隅に何かが映った。
それが人だと気づくまでには随分と時間がかかった。
それは、その人物がほとんど骨と皮だけで、土気色をした肌が地面と溶け合い風景と一体化していたからだった。
死んでいるのだろうと思ったが、その人間の目は血走り、僕を凝視していたので、かろうじて生きているのだということが分かった。
僕はその人間から目を逸らした。僕を見つめる目が、尋常じゃないほど恐ろしかった。
僕はその目から逃れるためだと理由をつけて、こんぺい糖を一粒口の中に放り込んだ。





気づくと、そいつは這ってきたのだろうか、僕の傍まで来ていた。そして、僕の鞄に手を伸ばした。
そこにはこんぺい糖が入っている。僕の大切なこんぺい糖が。夢と希望を見せてくれるこんぺい糖が。
僕はそいつが触れるよりも先に鞄を引っ掴んだ。そして、そいつの汚らしい手を思いっきり踏みつけた。
何度も、何度も何度も。呻き声が聞こえようがもがいている姿が見えようが、踏みつけるのを止めなかった。
そいつが動きを止めるまでひたすら踏みつけ続けた。
僕は肩で息をしながらそれを見下ろした。
僕の物を、僕のこんぺい糖を盗ろうとした汚らしい手。汚らしい存在。
消えてしまえ。死んでしまえ。
僕は最後に、動かなくなったそいつの腹をありったけの力を込めて蹴飛ばすと、その場から駆け出した。





それから後は、どこをどう歩いたのかは覚えていない。
体は疲れきっていたが、休むわけにはいかなかった。
何時どこでどんな奴が僕のこんぺい糖を奪おうとしているか分からない。こんぺい糖を奪われることを考えると、休むわけにはいかなかった。
棒のような足を引き摺りながら、泥につかっているかのような重たい体を抱えながら歩いた。
こんぺい糖のなる樹を見つけるんだという、その気力だけが僕を支えていた。





朦朧とする意識の中で、それが視界に入ってきた。
きらきらと輝く、樹。
けれど、それが現実のものなのか僕の妄想が生み出した産物なのかを確認するよりも先に、僕は闇の中に身を委ねていた。





次に目を覚ました時、それは目の前にあった。
僕の妄想の産物ではなかった。
こんぺい糖のなる樹は、確かに現実(ここ)に存在していた。
やっと、やっとここまでたどり着いた。
僕は狂ったように枝に実っているこんぺい糖を貪った。一度に何粒も口の中へと放り込んだ。





何かにつまずいた僕は、膝をしたたか地面に打ち付けた。
その痛みが、僕を現実の世界へと引き戻した。
輝く世界から一転して荒れ果てた世界に連れ戻された僕は、その痛みの原因となったものを怒りにまかせて蹴飛ばそうとした。
そして、気づいた。
そこにあるものに。
そこにある、人の手のようなものに。
ような?否、それは人の手だった。地面から人の手が出ていたのだ。それは、地面から這い出ようとするかのように見えた。
這い出る?
僕の脳裏に一つの仮定が浮かぶ。
まさか。まさか、まさか。まさかまさかまさかまさか!
僕はその手の周囲を掘り返した。けれど、疲れきった僕の手は、僕の意識に反してなかなか動こうとはしなかった。
それとも、本当は僕自身、これを掘り返すことを嫌がっていたのだろうか。
ゆっくりと、地面の中からそれは姿を現した。

――――――人間。

頭に根を生やした人間が、そこには横たわっていた。いや、根っこから人が生えていると言った方がいいかもしれない。
それは、まるで樹の根に頭から食われているように見えた。
ひっと、小さな悲鳴を上げ、僕は尻餅をついた。そして、そこから動けなくなった。
胃の中のものがせり上がってくる。口元を押さえるが間に合わない。
僕は、その横で、根から生えた人が横たわるその横で、胃の中のものを全部吐き出した。
吐出せるものが無くなった後も、吐き続けた。
先ほどまであったこんぺい糖の甘い味は消え去り、口の中に胃液の酸っぱさだけが残った。
しばらくして呼吸を落ち着かせた僕は、口元を拳で拭うと、もう一度それをじっくりと見た。
妄想ではない。幻ではない。
こんぺい糖のなる樹が存在するのと同じように、それは現実のものとしてそこにあった。
僕に、夢と希望を見せてくれていたこんぺい糖。
ここではない、輝く世界を見せていてくれたこんぺい糖。
その樹の根につながれた人間。まるで樹が栄養を吸うかのように、つながれた人間。
僕は、理解した。ナツノがここから逃げろと言った意味も、つながれている人の意味も。
僕が見ていたのは、この人の夢。この人の希望。
根につながれた人間は、自分の夢と希望を樹に吸われ続ける。そして、それがこんぺい糖の実となる。
ここにいたら、僕はこんぺい糖のなる樹に食われる。だからこそ、ナツノはここから逃げろと言った。
でも。でも。
僕は食われるだろう。それは、ここにいる限り逃れられないことだ。
でも、僕の見た夢や希望は、樹に栄養として注がれる。
そして、僕が見た夢と希望が、あの輝く世界が、新たな実を作るのだ。
それを食べた誰かが僕の見ていた夢や希望をもう一度見、その誰かがここまで辿り着いた時、また新しい実が作られる。
それは、僕の見た夢や希望が永遠に続くと言うことと同じではないだろうか。
僕の見た輝く世界が永遠にそこにはあるのだ。そして僕は、その世界を創る一人になるのだ。
たとえ樹に食われたとしても、命を代償にしたとしても、それは十分に価値のあることじゃないか。
永遠に続くのだ。僕の見た輝く世界が。
こんぺい糖を口にしなくとも、僕は常にそれを見ることができるのだ。
だって、僕がその世界自身になるのだから。
僕の命が消えるわけじゃない。その世界の中で、こんぺい糖の実がなり続ける限り、僕の命の破片は永遠にここにあり続ける。

ねえナツノ。あなたがあの時くれたこんぺい糖に、僕はここまで捕らえられてしまった。今さら逃げろと言われても、もう遅いんだ。ナツノからこんぺい糖をもらった時以上に、僕はこんぺい糖に魅了されてしまった。この誘惑から逃れることは、僕にはできない。

僕は、僕が見ていた世界を創っていたかもしれない人の傍らに横になった。
そして、こんぺい糖を一粒口にし、ゆっくりと瞼を閉じた。
瞼を閉じると、そこにあるのはここではない輝く世界。
口の中のこんぺい糖が溶け去っても、輝く世界が消えることはない。

―――永遠に。







こんぺい糖を探して私は歩き出した。
夢と希望の溢れる、私たちにそれを見せてくれるこんぺい糖を探して。
それは、虹色に輝く。
虹色に輝くこんぺい糖口に含んだ瞬間、口の中には砂糖の甘い味と同時に、夢と希望が広がる。
そして目を閉じると、ここではない輝く世界が見える。
私たちはこんぺい糖を口にしなければ、夢や希望を持つことはできない。輝く世界を、見ることはできない。
こんぺい糖を口にする時だけ、私たちの顔は綻ぶ。けれど次の瞬間、こんぺい糖は溶け去り、口の中には歯にまとわりつくような甘さだけが残る。夢や希望は一瞬だけ。その一瞬のためだけに、私たちはこんぺい糖を口にする。
そして、求め続ける。
それを、永遠のものにしたくて。
荒廃した世界と向き合いたくなくて。
麻薬のように、それを欲する―――――。



END?


素材:「Little Eden」



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