こんぺい糖
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こんぺい糖を探して僕は歩き出した。 夢と希望の溢れる、僕らにそれを見せてくれるこんぺい糖を探して。 それは、虹色に輝くのだ。 虹色に輝くそれを口に含んだ瞬間、口の中には砂糖の甘い味と同時に、夢と希望が広がる。 僕らはこんぺい糖を口にしなければ、夢や希望を持つことはできない。見ることはできない。 こんぺい糖を口にする時だけ、僕らの顔は綻ぶ。 けれど次の瞬間、こんぺい糖は溶け去り、口の中には歯にまとわりつくような甘さだけが残る。 夢や希望は一瞬だけ。その一瞬のためだけに、僕らはこんぺい糖を口にする。 そして、求め続ける。 それを、永遠のものにしたくて。 荒廃した世界と向き合いたくなくて。 麻薬のように、それを欲する。 こんぺい糖のなる樹を探しに行こうと決心したのは、ついこの間のことだ。 ナツノから貰った瓶に入ったこんぺい糖が、残り五粒しかないことに気づいたからだった。 五粒だけではこれからを過ごすことはできないし、かといって、ナツノからはもう貰うことはできない。 蓋ぎりぎりまでこんぺい糖の詰まった瓶を僕に渡した後に、ナツノは姿を消してしまった。 「こんな所からは早く逃げ出しなさい」。 そう言って、いなくなってしまった。僕はいつもナツノが持ってくるこんぺい糖を貰っていただけだから、何処にこんぺい糖のなる樹があるのか分からない。 周りの人間に聞いてみたところで、みんなこんぺい糖が減るのは嫌だから教えてはくれないだろう。 一度だけ、ナツノに聞いたことがある。こんぺい糖は何処から持ってくるのかと。 するとナツノは微笑んで、「東にこんぺい糖のなる樹があって、そこから取ってくるの。樹は虹色の光を放っているから、遠くからでも見つけることができるの」と教えてくれた。 だから、僕はナツノの言葉通りに東へ向かっている。 こんぺい糖のなる樹の近くにいれば、いつでも好きな時に好きなだけこんぺい糖を食べることができる。 そこはきっと楽園に違いないのだ。 もしかしたらナツノもそれに気づいて、こんぺい糖のなる樹の近くにいるのかもしれない。 だとしたら、教えてくれなかったナツノは意地悪だ。 街を出てから一体どれくらい時間が経ったのだろうか。 太陽が昇るのと沈むのとを五回までは数えたけれど、そこから先は面倒くさくなってやめてしまった。 こんぺい糖はまだ五粒残っている。瓶を懐から取り出して確認する。 太陽の光をあてるときらきらと輝く。僕はその美しさに見惚れる。 綺麗なこんぺい糖。食べると甘い味が口いっぱいに広がって、僕の心を蕩けさせる。 そしてゆっくりと瞼を閉じると、見たことのない世界が闇の中に浮かび上がる。虹色に輝く世界が。 けれどそれは、口の中から甘さが消えるのと同時に溶け去ってしまう。 だから、もう一度それを見たくて、こんぺい糖をまた口の中へと放り込む。 僕は瓶の蓋に無意識に手をかけていることに気づき、はっとした。 こんぺい糖は残り五粒。まだ五粒だとも言えるし、たった五粒だとも言える。 ここで食べてもいいものだろうか。 けれど。 光り輝くこんぺい糖を見てしまい、僕はあの甘い味を想像してしまった。 口の中にはあの蕩けるような甘さが蘇り、唾液が止まることを知らずに溢れてくる。 もう遅い。 食べたい。欲しい。食べたい。食べたい。食べたい、食べたい食べたい食べたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいたべたいタベタイタベタイタベタイタベタイ。 食べたい。 僕の意識はこんぺい糖に支配された。この欲求を抑える術を僕は知らない。 こんぺい糖を口にする以外には。 僕は狂ったように瓶の蓋を外し、こんぺい糖を一粒だけ取り、口の中へと放り込んだ。 口の中にあの味が広がる。甘い甘い、あの味が。 僕はなんともいえない感覚に襲われる。 なんと言ったらいいのか分からない。ただ一つ言えるのは、僕は生まれてからずっと、こんぺい糖を食べる以上の幸福感や満足感を味わったことがないということだ。 僕はゆっくりと瞼を閉じ、ここではない別の、輝く世界が訪れるのを待った。 こんぺい糖を最初に口にしたのは誰だったのだろうかと、僕はいつも考える。 その人がいなければ、僕らは今ここでこんぺい糖を口にすることはできなかった。この荒廃した世界で夢を見ることはできなかった。 こんぺい糖を最初に口にした人の名前を僕ら全員が知っていてもおかしくはないのに、誰も知らない。 なんだかおかしい気がする。 国の一番偉い人の名前を覚えることよりも、こんぺい糖を最初に口にした人の名前を覚えるほうがずっと意味があるのに。 ナツノは、知っていただろうか。ナツノなら、知っていたかもしれない。ナツノは、僕が知っている人の中で一番物知りだったから。 初めてこんぺい糖を口にした日のことは今でも忘れられない。 あの陶酔感と幸福感は、忘れることができない。 それまでの僕は、世界に絶望しきった子供だった。何を見ても何を聞いても、この世界には闇しかないと思っていた。 今すぐその場で死んだとしても、なんとも思わなかっただろう。どうせいつか死ぬのなら、今ここで死んでも構わなかった。 生きていたって何の意味もないのなら。 「ねえ、こんぺい糖食べない?」 何もすることがなくて意味もなく空を眺めていた僕に、そう声をかけた人物がいた。ナツノだ。 ナツノは、こんぺい糖が入った瓶を軽く振ってみせた。こんぺい糖が残り僅かだった所為で、瓶は小気味良い音を立てた。 それは美味しいのかと尋ねる僕に、ナツノは微笑んだだけだった。 それは、どこか意味ありげな微笑だった。 それに引き寄せられるように僕は瓶を掴んだ。 「欲しい?」 頷く。 手のひらにころんと転がった小さなこんぺい糖。 手のひらにのせたまま、舌を出してちろりと舐めた。甘い。 僕はナツノの顔を伺い見る。ナツノは微笑を浮かべたまま僕を見ている。その目は、「どうぞ」と言っていた。 僕は思い切ってこんぺい糖を口の中に放り込んだ。じわじわと甘い味が口いっぱいに広がっていく。その甘い味に、自分の顔が綻んでいくのが分かった。 僕の表情を見て、ナツノは共犯者のような微笑を浮かべて囁いた。 「目を閉じてごらん」 言われたとおりに目を閉じる。 瞬間、瞼の裏にはここではない別の世界が広がっていた。 見たこともない、輝くばかりの世界が。 僕の背中を電流が駆け抜けたようだった。けれど、それは一瞬で消えてしまった。 口の中のこんぺい糖が消え去るのと同時に無くなってしまった。 僕は今見た世界が何なのか知りたくてナツノに問いかけた。 ナツノは何も言わない。ただ黙ってこんぺい糖の入った瓶を振って見せるだけだった。 先ほどの、あの意味ありげな微笑を浮かべて。 僕はもう一度あの世界が見たかった。目の前に広がる荒れ果てた現実ではないあの世界を、もう一度見たかった。いや、一度と言わず何度でも。それは、僕らが求めても決して手に入れることのできない世界だった。 この世界を見ることができるならここにとどまりたいと、そう思った。 そんなことを思ったのは生まれて初めてだった。 ナツノはもう一度尋ねた。 「欲しい?」 喉がこくりと鳴った。 それは甘美な誘惑だった。 頷かない訳が無い。僕の手のひらには一粒のこんぺい糖。 そして僕は、こんぺい糖に魅了された。 |
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