夜を駆ける






あの頃持っていたはずの夢や希望は、一体何処へ消えてしまったのだろう。


いつもと変わらない週末。
同僚と飲みに行き、最終よりも少し前の電車に飛び乗って電車と酔いに気持良く揺られながら軽く瞼を閉じる。気がつけばもう最寄の駅で、急いで改札を抜ける。
まるでそこまでが仕事であるかのように、決まりきった流れ。慣れきった流れ。
適当に同僚に相槌を打って、酒の肴は上司の悪口。本音も吐き出せない、決まりきった日常。上っ面だけの生活。
そんな本音も吐き出せないような関係が生活の大半を占めるようになって、どれくらい経ったんだろうか。
人気のない駅のロータリーで一人空を見上げる。
吐き出した息が白く舞い上がって、冬が訪れていたことを教えてくれていた。
秋がやってきていたことにも、通り過ぎていったことにも気づかなかった。
季節が変わるたびに胸を躍らせていたあの頃。
世界がキラキラと眩しく輝いていたあの頃。
いつから世界はこんなにも曇ってしまったんだろう。
何でこんなにつまらないんだろう。
何で俺はこんなにつまらないと思っているんだろう。
俺はどうしてこんなにつまらない奴になっちまったんだろう。
腐った気持を吹き飛ばしたくて手近にあった空き缶を蹴飛ばした。
だが、それは逆に俺の気持を沈ませた。
空虚な音が響き渡る。
からっぽの音。
所詮俺もこんなもんか。この空き缶と同じように何にも無くて。
簡単に転がっていって最後には踏み潰されるだけ……?
空虚な音を響かせて転がっていく缶を、誰かが拾い上げた。
ギターケースを背負った青年だ。
青年はこちらに向かって「ごみはゴミ箱に捨てて下さいよー」と軽く言うと、そこが定位置なのか、ギターケースからギターを取り出すとかき鳴らした。
そして、歌い出す。
歌声は夜の闇に溶けていく。
舞い上がる白い息。
ぼうっと突っ立ったまま俺はその歌に聞き入っていた。
「どうも」
最後まで聞いていた俺に、青年は少し照れながら会釈をした。
でもそこには感謝の気持がこもっていた。俺が会社でしている45度の丁寧なお辞儀なんかよりもずっと。
寒いのか、手をこすり合わせている。
俺は近くの自販機で缶コーヒーを二つ買うと、青年に向けて投げた。
「おわっすんません」
取り落としそうになりながらも何とか缶をキャッチした青年は、それに口をつけずに、手をあてて暖をとっている。温かさに青年の顔が綻んだ。
俺は青年の横に腰を降ろすと、プルタブを開け缶コーヒーを一口飲んだ。
黙っているのも変な気がしたので、話しかける。
「青年はいっつもここで歌ってんの?」
「はあ、そうですね。大体週末は」
「聞いてくれる人とかいるの?」
「おじ……お兄さんみたいな人が、たまに」
青年は俺が一瞥すると、慌てて言い直した。
俺はこう見えてもまだ三十手前だ。流石におじさんとは言われたくない。
「ふーん。なんで歌うの?」
その問いに、青年はきょとんと目を丸くした。
そんなこと聞かれるとは思ってもみなかったという表情だ。
「理由なんてないっすよ」
「理由も無いのにこんな寒空の下で歌わないでしょ。プロ目指してるとか?」
そう尋ねると青年は困ったように微笑した。
じっと手元の缶コーヒーを見つめながら答える。
「うーん。歌って、食べていければいいなとは思うけど。でもやっぱ壁は見えるんで。理由なんて本当ないっすよ。ただ聞いてもらえればいいなあって。あるとすれば、好きだから、かなあ」
青年は十分指が暖まったのか、そう言うと缶コーヒーに口をつけた。
どこか満足気なその笑みに、俺はなんともいえない気持ちになった。
「好きだから」、それだけでこの寒空も厭わない彼に嫉妬した。
好きだと思ったから今の仕事に就いた。
けれど、いつの間にかそれがつまらない仕事に変わっていて。
つまらなくなって、面倒くさくなって、好きだと思った気持を放り投げて単なる生活の手段にした。
つまらない毎日。上っ面だけの毎日。
そんな毎日に嫌気がさしていた。
湧き上がってくる疑問。
本当にそれはつまらない毎日だったのか。
曇っていたのは景色じゃなくて、俺の目だったんじゃないのか。
つまらないと思うからつまらなくなっていって。
上っ面だけ取り繕うから本当に表面だけの関係でしかなくなっていって。

「好きだから」。

その言葉に殴られたような気がした。
俺は立ち上がるとゴミ箱に向かって空き缶を放り投げた。
カコンッと小気味良い音を響かせて缶はゴミ箱の中へと落ちた。
「おー」
と、青年は感嘆の声を漏らす。
「頑張れよ」
と言うと、青年は「どうも」と笑顔で答えた。
その笑みがまるでスタートの合図であるかのように、俺は勢い良く駆け出す。
後方から、先ほどとは違う青年の歌声が聞こえてくる。
それはまるで俺に対する応援歌のように思えた。
白い息が闇の中に舞い上がる。
俺はあの頃の気持を思い出しながら、夜の街を駆けた。
景色が少しだけ、輝きを取り戻したような気がした。

<了>




お題:夜を駆ける/スピッツ
「走る」という行為が好きです。実際自分がやるとなると、疲れるし足が遅いしで嫌ですが。
でも、「走る」という行為が好きです。走ったら、駆け出したら別な世界にたどり着けるような気がします。
自分が走るのが嫌いだったり、走るのが遅いからそう感じるのかもしれません。
青年のように、ただ「好きだから」と言うことが出来たらどんなに良いだろうと思います。

2005年1月18日 up
素材:「LEBELLION」





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