氷の空
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それは昔の物語 氷づけにされた哀れな王子 右手には知恵を 左手には勇気を 抱いたまま王子は深い眠りの中 魔王の妬みと怒りをかって 銀の瞳の王子は氷の中 真実の言葉によって 王子の呪いは解かれるだろう 森の賢者はそう告げた 深い深い森の奥 今も王子は待っている 真実の言葉の訪れを 氷の中で 待っている それは昔の物語 氷に眠る王子の話 竪琴が悲しげな旋律を奏で終わると、男は立ち上がり勢い良く手を叩いた。 「さあさ、聞いておくれ、見ておくれ!旅で仕入れた昔語り。歌が胸を打ったなら、黄金に輝く小さなコインを、貧しい男の帽子の中へ!さあ、聞いておくれ、見ておくれ!!」 男はリズミカルにそう言うと、被っていたくたびれた帽子をくるりと一回転させて、集まっていた人々の前に差し出した。 足を止めていた人々は、次々と男の帽子の中へコインを投げ入れていく。 仕方なさそうに苦笑を浮かべる者。貧しい男を哀れみの目で見つめる者。男の歌に心底感動した者。 浮かべている表情は様々だが、帽子の中のコイン以外は、男の目には入らない。ある程度のコインがたまったことを、帽子の重みで判断した男は、へこへこと頭を下げると、手近にあった荷物をまとめ始めた。 竪琴は放り投げるように麻袋の中へ。コインは一枚一枚丁寧に、腰につけている革袋へと入れる。 (……23っと) 今日はなかなかの稼ぎだと、口の端に小さく笑みを浮かべた。 集まっていた人々はまばらに去っていき、男の周囲にはほとんど誰もいなくなっていた。しかし、いつまで経っても一つの影だけはその場を去ろうとはしなかった。 訝しんだ男は、ゆっくりと顔を上げる。 そこにいたのは、一人の老婆だった。男よりは幾分マシではあるが、くたびれた布を纏っている。 老婆からコインを貰うことは期待できないと思った男は、手で追い払う仕草をしてみせた。 「分け与える金なんてねえよ、ばあさん」 ぞんざいにそう言うと、老婆はふんと鼻で笑った。 「誰が金が欲しいと言った」 「その格好で、他に何が欲しいって言うんだよ」 上から下までじろじろと老婆を眺めやると、男は小馬鹿にした口調で言った。 (金じゃないなら、食べ物が欲しい。食べ物じゃないなら、服が欲しいとせがむんだろ?) そう男は思った。 男を始めとして、貧しい者が常に欲している者は決まっている。 だが、老婆が口にした言葉は、男の予想を裏切るものだった。 「情報だよ、若いの」 酒場が混雑する時間にはまだ早いのか、その店には男と老婆の二人だけしかいなかった。 店の主人は、コップいっぱいに並々と注がれた葡萄酒をこぼさんばかりにテーブルの上に力強く載せると、二人をちらりと一瞥して去っていった。 「で、情報って何のことだよ。ばあさん」 男は葡萄酒を一気に煽る。 「ばあさんとは何だい。私には、セツっていう名前があるんだよ。最近の若い者は、これだから。で、あんたは何て名だい?」 老婆――セツは、大げさに溜息をついてみせる。 セツが手をつけないのを良いことに、男はセツの分の葡萄酒にまで手を伸ばした。 「……答える必要はないだろ」 「そうはいかないよ。これから一緒に旅をするんだ。名前が分からなけりゃ困るじゃないか」 「はあ!?」 男は、口に含んでいた葡萄酒を勢い良く吹き出した。 「何言ってんだ!?」 叫ぶ男に、セツは呆れながら白い布を差し出した。 「……一緒に旅をするんだよ。あんた、氷の王子を見てきたんだろう?」 「見てきたら、何だってんだよ」 「私はね、氷の王子に会いたいんだ」 「あんたみたいなばあさんが?」 男は鼻で笑う。だが、すぐにセツは真剣な声音で答えた。 「ああ、会いたいんだ」 その毅然とした態度はセツの服装からは想像のつかなかったもので、男は言葉に詰まる。 これ以上何かを言って、からかえる雰囲気ではなかった。 「金ならあるよ」 そう言うと、セツはぱんぱんに膨らんだ革袋を机の上に載せた。 先ほど男が持っていたコインの何倍もあるであろうと思われる音が、革袋の中から聞こえてくる。暇そうにコップを磨いていた酒場の主人の視線も、急にこちらに向けられた。 それを聞いた男の目の色が変わった。 「それを先に言えよ」 男は革袋に手を伸ばしたが、セツにぴしゃりと手を叩かれた。 「後払いだ」 「後払い〜!?ケチケチすんなって!」 「金だけ持って、氷の王子の元に連れて行ってもらえない、なんてなったら困るからね」 その言葉に、男が舌打ちするのが聞こえた。 革袋を服の中へと仕舞っていたセツは、満面の笑みを浮かべて男を見据える。 「何か言ったかい?」 「いいえ。案内させてもらうよ、ばあ……セツさん」 そう言って男は笑ったが、その笑みは引きつっていた。 「ありがとう。その代わり、旅費は全て私が持つよ」 セツの言葉に、男は大袈裟に嬉しがってみせた。 「そいつは助かるね!」 そう言うと、目の前にあった葡萄酒の残りを一気に飲み干した。コップがテーブルに置かれるのを待って、セツは口を開いた。 「さて、一緒に旅をするんだ。名前くらい教えてくれるだろ?」 「……ヒート」 「よろしく、ヒート」 差し出された皺だらけの手を、ヒートは渋々握り返した。 この時ヒートの頭の中にあったのは、道中いかにしてセツから金を奪って逃げるか。それだけだった。 (このままじゃあ、本当にばあさんを氷の王子のところにまで連れて行かなきゃならねえよ) 宿屋の固いベッドの上で、ヒートは一人頭を抱えた。 何度となく、セツの隙を狙ってはコインの入った革袋を奪おうとするのだが、全て失敗に終わっていた。 眠っていると思って手を出せば、タイミングよく寝返りを打った際の手が顔面に当たり。 酔った振りをして抱きつこうとすれば、酒や料理を取りに席を立ってしまい、ヒートは床の上に転がり落ちる。 掴める位置にあるはずなのに、いつもするりとかわされてしまっていた。 最終的に渡される金の額に変化は無い。ならばもう、諦めてしまっても良いのではないだろうか。 そんな思いが脳裏を掠める。 一緒に旅をするようになって、既に二月が経とうとしていた。 氷の王子の元へは、あと少しだ。四日も歩けばたどり着くだろう。 長旅の間、文句の一つも言わずにヒートについてきたセツは、真剣に氷の王子に会いたいのだろう。その気持ちは、ヒートにも伝わってきた。 若いヒートにも、長旅は正直辛い。年老いているセツにとって、その辛さはヒートの何倍ものものであっただろう。 それ以上の辛さを、残りの四日では味あわなければならない。 ヒートが氷の王子の元にたどり着いたのは、偶然だった。死を選ぼうと森を彷徨っているうちに、その洞窟にたどり着いた。 入り口から奥まではまっすぐな一本道で、奥までが綺麗に見通せた。その奥に、王子はいた。 王子を見たのはほんの一瞬だった。洞窟の入り口から遠目に見ただけだった。 それが目に飛び込んできた瞬間、何故だかヒートはここにいてはいけないと思った。 冬の朝のような、ぴんと張り詰めた清浄な空気を汚してしまったような気がした。 入り口に落ちていた竪琴を拾い上げると、逃げるようにその場を後にした。 その後のことは記憶に無い。気づいたら、森から一番近い村にいた。 今のように、こうして宿屋の固いベッドの上にいたのだ。 そして、氷の王子について村人に聞き回った。 分かったのは、氷に捕われた理由と、呪いを解く方法だけだった。 以来、ヒートはそれを元に歌い、諸国を歩き回って生活をしてきた。死を選ぼうという気持ちは、王子を見たあの時から、綺麗に消えてなくなってしまった。 その理由は今もヒートには分からないけれど、それで良いと思っている。 (……ここまでばあさんを連れてきたんだ。後は森を抜けるだけ。一人でも何とかなるだろう) ヒートはそう意を決すると、隣の部屋の扉を叩いた。 (そう決めたはずなのに、どうして俺は洞窟の入り口まで来ちゃってるのかねえ) ヒートは、一人大きな溜息をついていた。 あの日、旅の終わりを告げてコインの入った革袋を貰おうとしたヒートは、「王子が目を覚ます姿を見たくはないかい?」というセツの一言に、簡単に心を変えてしまった。 セツが真実の言葉を持つ者だと信じているわけではない。 けれど、自信ありげに微笑んむセツを見ているうちに、ヒートは首を縦に振っていた。 たとえ、セツが王子を目覚めさせることが出来なかったとしても、コインは自分の物になる。 そして、もしもセツが王子を目覚めさせることが出来たなら、その奇蹟的な場面に立ち合った者として、楽に金を稼ぐことが出来るだろう。 どっちに転んだとしても、ヒートにとって損は無い。 それと同時に、セツがどうして氷の王子に会いたいのかという理由を、知りたくもあった。 二月もの間一緒に旅をしたが、セツは謎だらけの人物だった。 生まれや育ちを聞いても、曖昧に笑ってみせるだけだった。逆に、ヒートに質問を返してくる。 そして、ボロボロの布を纏っているというのに、時折、その身なりからは想像も出来ないような気品を漂わせていることがあった。 セツは、不思議な老婆だった。 世界の歴史を知っているかと思えば、水汲みの仕方は全く知らず。 布と糸の作られる仕組みを知っているというのに、裁縫は全く出来なかった。 一体どんな暮らし方をすれば、セツのような人間になるのかと、ヒートは不思議でならなかった。 そのセツは、今、ヒートの隣で、洞窟の奥にいる氷の王子をじっと見つめている。 王子の姿は、ヒートが初めて見た時と何も変わってはいなかった。 きっと、魔王の呪いによって捕われた時とも、何も変わってはいないのだろう。ただ、銀の瞳が見えないということだけだろうか。 あの時と違うのは、ヒートがこの場を今すぐにでも去りたいと感じていないということだ。 冬の朝のような、ぴんと張り詰めた清浄な空気は感じでいる。けれど、この場を去りたいとは思わない。 ヒートは、隣に立っているセツをちらりと見る。 もしや、セツが隣にいる所為なのだろうか……? それとも、セツは感じているのだろうか。すぐにでもこの場を去ってしまいたいという感情を。 セツの肩は震えていた。 それを見て、ヒートはセツをこの場から去らせるべきだと判断した。 あの時の自分と同じように、セツもこの場から去りたいと感じているのだと思った。 「ばあさん、満足しただろう?」 けれど、ヒートのその問いかけは、セツの耳には届いていなかった。 セツは、溢れ出す涙を拭うこともせずに、呟いた。 「……イセ。イセ!!」 叫ぶのが早いか、セツは洞窟の奥へと向かって駆け出して行く。 「おい、ばあさん……!!」 ヒートは慌ててその後を追いかけた。 真っ直ぐな一本道のはずなのに、走れども走れどもセツとの距離は縮まらない。 「ああ、イセ。イセ!」 王子を捕らえている氷に縋りつき、セツは声を大にして叫ぶ。 その姿を、ヒートは遠くから見つめていた。 洞窟の中にいるはずなのに、先ほど入り口から王子を見つめていた時と、距離に変化は無かった。 「イセ、聞こえるかい?私だよ。覚えている?」 幼い子をあやす様な優しい声音で、セツは王子に問いかけた。 無論、王子からの返答があるはずもない。 それでも、セツは王子へと言葉を投げかける。 「ごめんね、ごめんなさい。本当なら、もっと早くにあなたを助けに来られるはずだったのに。あなたが呪いを受けたと聞いた時には、私の国も争いに巻き込まれてしまっていて。やっと争いが収まったと思ったら、私の身分は剥奪されてしまった。……言い訳にすぎないわね。もう、ダメかしら。あの時、あなたにすぐにでも返事をするべきだった。そうすれば、もしかしたらこんなことには……」 セツは、じっと王子を見つめる。見つめ返すことのない、王子の瞳を、じっと。 「もう遅い?もう、ダメかしら。イセは昔のままなのに、私はこんなに歳を取ってしまったものね。びっくりしたでしょう?こんな皺だらけのおばあちゃんで。あなたが褒めてくれた金色の髪も、今じゃもうすっかり真っ白になってしまったわ」 一房、自分の髪を取って眺めやる。セツは苦笑を浮かべた。 「……驕っていたのかしら。あなたに愛されていたから、あなたを救えるのは私しかいないと。この氷を溶かせるのは、私だけだと思っていたわ。遅すぎたの?ねえ、イセ。遅すぎたの……!?」 答えない声を求めるかのように、セツは強く氷を叩く。叩けば、壊れるものではないと分かっていても。 それでも、何度も何度も氷を叩いた。 氷は、ヒビ一つ入らず、王子を捕らえたまま離さない。 「イセ。最後にこれだけは言わせて。遅すぎたとしても、聞こえていなかったとしても。……あの時の返事は、”はい”よ」 セツの瞳から、涙が一粒零れた。それは、王子を捕らえている、氷の根元へと落ちる。 「誓うわ、イセ。スノウリア・S・ウィントーは、F・イセ・コールダを、生涯、愛し続けると」 そう言うと、セツは背伸びをし、氷の上から王子にくちづけをした。 ひんやりとした冷たい感触が、セツの唇に感じられるはずだった。 けれど、そこにあったのは生身の、温かい血の通った唇だった。 「……待ってたよ、スノウ」 その唇が確かにそう言葉を紡ぐのを、セツは聞いた。 ヒートは、我が目を疑った。 セツの口から誓いの言葉が述べられた瞬間、足元からゆっくりと、王子を捕らえていた氷が溶けていった。 そして、それと同時に、セツの真っ白かった髪の毛が金色に輝き出した。 その輝きはどんどんと大きくなり、視界いっぱいに広がっていく。 ヒートは、手を翳して光を遮る。それでも、光が眩しくて目を瞑った。 金色の光が、瞼に焼きついた。 次にヒートが目を覚ましたのは、宿屋の固いベッドの上だった。 手には、竪琴と、そして、ぎっしりとコインの詰まった革袋を握り締めていた。 宿屋の主人に氷の王子の話をしても、聞いたことが無いと首を傾げられ、連れの老婆を見かけなかったかと聞いても、一人でこの村にやってきたと言われた。 一体、何がどうなっているのかヒートには分からなかった。 慌てて、村の外れにある森を目指した。 けれど、村の外れに森は無かった。代わりに、森の入り口だった場所に、寄り添う少年と少女の像が立てられていた。 通りがかった村人に尋ねると、村人はこう答えた。 「昔、この国が魔王と争った時に、この国を救うために戦った、王子と王女の像さ」 「……名前は?」 「さあてねえ、もう随分昔のことだから、名前までは分かんねえなあ」 村人が去った後も、ヒートは一人その像を見つめ続けていた。 微笑んで寄り添う少年と少女の像を、ただじっと見つめ続けていた。 それは、昔の物語―――。 <了> お題:氷の空/MOTORWORKS 「好きと言うのは終わる始まり」というフレーズから浮かんだ話です。 色々と思うところもあるのですが、楽しんでいただければ嬉しいです! 登場人物の名前は、実は結構遊んでおります(笑) 2005年12月11日 up
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