殺意の鈴
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―――鈴の音が響く。 冷たく、硬く。 殺意の込められた鈴の音が。 紅に染まった青銅の太刀が、がつんと鈍い音をたてて床へと落ちた。太刀の落ちた傍らには、床に血を染み込ませている屍があった。 かつてこの倭を治めた、女王ヒミコの屍が。 時は遡る。 かつて、この倭は島中で争いを行っていた。 大小様々な国が、その国の人々が、自らの手を血で赤く染め、終わりのない戦いにその身を投じていた。 男たちは敵国を倒すため、ひたすら人を切り続ける。子供たちは殺され、女たちはその悲しみを嘆く。 後には積み重ねられた屍と、虚無が残るのみ。 その戦いを終わらせたのが、天を治める太陽の、神の声を聞く女性―――陽の巫女だった。 人々はその女性をヒミコと呼び、崇め奉った。それは、ヒミコが神の声を聞く者であり、神に等しい存在であったからだ。 けれどそれが尊き陽の巫女の命を奪うことを、人々は知らない。 「オトヒコ」 静かな口調で、ヒミコはその名を呼んだ。彼女の唯一の血縁者であり、彼女の代わりに政(まつりごと)を行う者の名を。 「なんでしょう、ヒミコ様」 返事をしたのは、がっしりとした体躯の青年。 オトヒコ、それが彼の名だった。 否、彼に名は無い。「オトヒコ」とはすなわち弟の意。ヒミコが彼を「オトヒコ」と呼ぶのは、彼が唯一の肉親であり、愛すべき弟であるからだ。 けれど、国の人々も彼を「オトヒコ」と呼ぶ。 彼はそれが嫌だった。それは、人々の心がみなヒミコに向いていることを意味していた。ヒミコの弟だから、と人々はその名を呼ぶ。 いくら自分が政を行ってみても、結局はヒミコの影がちらつくのだ。 ヒミコの占いによってではなく、オトヒコの意思で政を行っても、人々が感謝する対象はヒミコで、オトヒコでは無い。 いつからか、オトヒコは神にも等しいと言われる姉に、嫉みを覚えるようになっていた。 「オトヒコ、そなたは何を考えている?」 「何を……とは?」 問い返した弟に、ヒミコは顔をしかめて見せた。 「そなたの心が読めない。黒い影が、そなたの心を読めなくさせる」 「なぜ私の心を読む必要がありますか?ヒミコ様は、ただ神の心のみをお読みになればいい。そして、民を導けばいい。違いますか?」 笑みを浮かべてオトヒコは言う。 しかし、その笑みは能面のようで、ヒミコの背筋を冷たくさせた。 「私が言いたいのはそうではない。私は姉として言っている。そなたにあげたあの鈴。あの鈴は心を落ち着かせる。悪しきものからそなたの心を守るはず。なのに、なぜ?」 ヒミコはオトヒコの心の内を覗こうとするかのように、じっとオトヒコを見つめた。 「その鈴ならば、今もここに」 オトヒコは腕の環(たまき)を見せた。チリンと、涼しげな鈴の音が響いた。 「姉上から頂いた大切な鈴。こうして、肌身離さず身につけておりますよ」 「よい。ならばよい」 安堵の息を漏らし、ヒミコは言った。 「その鈴は、魏の使者が持ってきた物。その音はそなたを守るはず。離してはならぬ」 「はい。けれど姉上は私を心配しすぎます。だから民は、未だに私をオトヒコと呼ぶのですよ」 オトヒコは肩をすくめてみせた。 「姉が弟を心配するのは当然のこと。民とて、親しみをこめて呼ぶのであろう」 ヒミコは寂しげにそう呟いた。巫女であるヒミコを崇める者はいても、親しみを持つ者はいない。ヒミコはそれが寂しかった。 それ故、傍らにオトヒコを呼ぶのだ。 そんなヒミコの姿を微笑んで見つめるオトヒコの胸の内に、ヒミコは気づかずにいた。 ヒミコの館を去った後、オトヒコは一人呟く。 「私を守る鈴、か……」 腕の環に付けた鈴が、風に揺れ、鳴る。 それを見て、オトヒコは小さく笑う。どこか嘲るように。 (姉上は知らない。私の心が読めない理由を。黒い影が渦巻く理由を。神に等しい姉上が!) 笑う度に、鈴は小さく鳴る。その度に、オトヒコは想いを込める。 (全ての民を支配するくせに、それ以上を望む姉上。この倭の統治者でありながら、平凡な暮らしを望む姉上。ならば、私にその地位をよこせ!私なら、この倭を姉上以上にできる。私なら!!) オトヒコは、ヒミコからこの鈴を貰って以来、姉を嫉む気持ちをこの鈴に込め続けてきた。鈴が鳴る度に、何度も何度も。 徐々に、込められる気持ちは大きくなる。鈴が鳴る度に、大きくなる。 嫉む気持ちは大きくなり、それは―――殺意に変わる。 (姉上を殺せば、この倭は手に入る。全ての民が、私にひざまづく。姉上さえいなければ!!) そう思った瞬間、オトヒコの目に青白い炎が宿った。 彼の腰には一本の太刀。 オトヒコにとって幸運なことに、ヒミコは自分の館に人を寄せ付けなかった。祭祀の邪魔になると言って。 近づけるのは、オトヒコのみ。 オトヒコは、今来た道を引き返す。太刀を握り締めて。 オトヒコの顔には満面の笑み。 鈴の音が、小さく響いた。 <了>
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