笹の葉、さらさら





茹だるような暑さに、駅の待合室でぐったりとしていた俺の視界に、まるで救いのように真っ白いうなじが飛び込んできた。
下りのホーム。
帽子をかぶったほっそりとした後ろ姿。
スカートから伸びるすらりとした足。
服装はひと昔前という感じがあるが、そういう恰好が好きな子なのかもしれない。レトロなファッションが好きな子は、最近多いしな。
俺論ではあるが、うなじが綺麗な子には美人が多いと思う。
目は口ほどに物を言う、ならぬ、うなじは顔ほどに美しさをかもし出すってね。
今までの暑さが嘘だったかのように、鼻唄でも歌い出したい気分で俺はその子の顔を拝もうと、わざとらしく前を横切った。
横目でちらりと顔を見る。
そこにいたのは、君の笑顔は花のようだと言われたことがあるに違いない、それはそれは美し――かったであろう人だった。
端正な顔立ちではある。
俺好みな顔立ちでもある。
だが、それも「あと50歳は若ければ」という但し書きがついていれば、だ。
詐欺だ詐欺だ!
あんなうなじをしてながら、ばあさんなのかよ!!
何事も無かったかのように去ろうとした俺のシャツを、不意に誰かが掴んだ。
その指の先を、俺は恐る恐るゆっくりと、見た。
――ばあさん!!
驚く俺をよそに、ばあさんはかつて男たちを魅了したであろう笑みを浮かべると言った。
「お茶でも、飲みませんか?」


◆◆◆◆


別にばあさんの笑顔に魅了されたわけではない。
ただ、年寄りには優しくしなきゃいけないと思っただけだ。
そんなわけで、なぜか俺は電車を一駅分乗った先にある老舗の甘味処で、ばあさんと差し向かいで葛切りなんか食べている。
仏頂面で葛切りを口に運ぶ俺を見て、ばあさんは嬉しそうに笑った。
「本当は甘いもの好きなのに、そんな顔をして」
な、なぜ俺が甘いもの好きだと知っているんだ!
葛切りよりも、本当はあんみつを食べたかった。
知っているか?あんみつはあんこと黒蜜が入っているからあんみつなんだ。それくらい甘いんだぜ。
だから、ばあさんの手元にある、全く減らないあんみつがどうなるのかが気掛かりだった。
それを察したのか、
「私が手をつけてしまいましたけど、良かったら」
そう言って、俺の方にあんみつを差し出した。
「いや、でも」
言葉を濁す俺に、ばあさんは、
「私はもうお腹いっぱいで」
と微笑った。
それを、食べたくない人と食べたい人がいる。ならば、どうするのが互いの利になるのか。
「……じゃあ」
スプーンを握った俺を見て、ばあさんは笑う。それはそれは嬉しそうに。
「変わりませんね」
まるで昔から俺を知っているかのように、ばあさんは呟いた。
俺は首を傾げる。
知り合いに、こんな人はいただろうか。
いたら、忘れるはずがないと思うんだが。
「あの」
疑問を尋ねようとした俺の言葉を遮るように、ばあさんは席を立つ。
「吹き流し、見に行きましょうか」



◆◆◆◆


俺の住む地域では、七夕は7月には行われない。
旧暦の8月、6・7・8日の三日間、盛大な七夕祭が開かれる。
昔からこの時期に開かれているので、どうしてかなんて考えたことは無かったけど、よく考えたら不思議な話だよな。七夕だけ、旧暦なんだから。
正月や雛祭りやこどもの日なんかは新暦なわけだし。
そんな取り留めもないことを考えながら、俺は吹き流しの下を歩く。
さすが、毎年何万人と観光客がやってくる行事だ。吹き流しを見るというよりも、人を見ていると言った方が正しいだろう。
そりゃ、吹き流しは綺麗だが、結構な大きさなので、その間をくぐって、不意打ちのように小さな子供が出てくるのが怖い。
実を言うと、幼かった俺も例に漏れずそんなことをしていたわけなのだが。多分、地元の人間なら誰だって一度はやっているだろう。
さらさらとした和紙の中をくぐるのは、楽しいのだ。
短いトンネルをくぐるようで。一瞬だけの異次元。
しかし、あんまり調子に乗っていると俺のような目に遭う。
出てきた拍子にごっつんこ。
あの時のたんこぶの痛さは忘れられない。
あの痛みが、俺を一つ大人にしたような気がする。
以来、吹き流しの中をくぐるなんてアホなことはしなくなったが、時折、くぐって遊んでいる子を見ると、何とも言えない懐かしさと羨ましさが込み上げてくる。
なんて懐かしく思っていたら、腹のあたりに鈍い痛みを感じた。 下を見ると、少年が俺の腹に顔面衝突していた。
あまりのタイミングの良さに俺は吹き出してしまった。
「気をつけろよ」
すると少年は、「ごめんなさい」と言うが早いか、逃げるように母親の元に駆けて行った。母親はすまなそうに俺の方に会釈し、すぐに怖い目をして少年を一喝。
少年は今度はちゃんと俺を見て、「ごめんなさい」と言った。
人の流れに逆らって、少年の去って行った方を見続けるには限度がある。
気付けば人波に流されるまま、歩を進めていた。
すっかりばあさんのことを忘れていた。
慌てて周囲を見回す。
と、ばあさんは隣で微笑っていた。
「そういうところも、変わりませんね」
嬉しそうに笑う。
やはりどこか俺のことを知っているかのような口ぶりだ。
「あの」
「あ、リンゴ飴!」
ばあさんは出店を指差す。
「リンゴ飴、食べたくありません?」
話をそらすように、俺の手を引く。
「……あの、」
「もうちょっとだけ。もうちょっとだけ、付き合って下さい」
そう、今にも泣き出しそうな顔で笑われてしまっては断ることなど出来ない。
俺は黙って頷いた。
それを見たばあさんは、ほっと一息つくと、気分を変えるかのようにさっきよりも明るく言った。
「ね、リンゴ飴。リンゴ飴食べましょう」
リンゴ飴を2つ買ってきたばあさんは、小さな子のように無邪気に笑う。
この人は、一体誰なんだろう。
リンゴ飴に嬉しそうに齧りつくばあさんを、じっと見つめる。
もしかして、ボケてしまっているんじゃないだろうか。それで、俺を誰かと勘違いして……?
そうだとしたら、ばあさんをここで放り出すわけには行かないよなあ。かといって、このまま気が済むまで相手をしてやらないといけないっていうのもどうなんだ。
ばあさんはさっき、「もうちょっと」とは言っていたけど、もしボケているのなら、それも当てにならないだろうし。
……弱ったな。
「コウさんは、昔からリンゴ飴に目が無かったですよね」
瞬間、そう言ってリンゴ飴を俺に差し出すばあさんの姿が、今よりも若く見えた。
皺のあった顔は、皺ひとつ無い白く瑞々しい肌に。
唇は薔薇色。
白いものが混じっていた髪は、艶のある黒髪に。
一気に、50歳は若返ったんじゃないだろうか。
「ぬあっ」
思わず、変な声を上げてしまった。
「どうかしましたか?」
そう問いかけてきたばあさんの顔は、プラス50歳。元の顔に戻っていた。
げ、幻覚?それとも俺の願望による妄想?
はたまた、そうです、おばあさんは、魔女だったのです!シャランラ〜。
……って、馬鹿か俺は!
何だったんだ、今の?
「……コウさん?」
「うわっはい」
慌てて返事をしたものの、なんでばあさん(?)は俺の名前を知ってるんだ。やっぱり、魔女だったのか!?
知らず身構えた俺を見て、ばあさん(仮)は声を上げて笑った。
「どうしたんですか、素っ頓狂な顔をして。変なコウさん」
笑うばあさん(だと思う)の姿に、さっきの若い姿がぶれて重なる。
ええと、俺の目は一体どうしてしまったんだ。誰か助けて。
でも、ばあさん(メイビー)の若い姿は正直なところ俺の好みのど真ん中をついてくるわけで、もういっそ、このままこの姿にずっとなっていてくれれば良いなあなんて思ってしまう俺がいたりもする。
まあ訳の分からないことはいくら考えてみても仕方が無いから、今は目の前にある大好物のリンゴ飴に現実逃避させてもらうことにしよう。
小さい頃は、じいちゃんと一緒によく食べたっけ。じいちゃんも、リンゴ飴が大好きだった。
そういえば、七夕に俺をよく連れて行ってくれていたのも、じいちゃんだったなあ。
いつも、あるデパートの前に来ると、じいちゃんはぼんやりと人の流れを見つめていたっけ。
「吹流し、綺麗だなあ」と言いながら、その目は吹流しでは無く、そこを通り過ぎていく人々を見つめていた。
しばらくの間そうした後に、必ず小さく溜め息をついた。
その後、じいちゃんがどんな表情を浮かべていたのか、俺の記憶には残っていない。
でも、幼心にじいちゃんがどこか寂しそうだったのは覚えている。
じいちゃんはきっと、あの場所で誰かを待っていたんだろう。
あの頃は、全くそんなことには気づかなかったけれど。
ひんやりと冷たい手が、俺の手をそっと握る。
びっくりして横を見ると、握っていたのはばあさんだった。
「こうして、コウさんと手を繋ぐのが夢だったんです」
頬を桃色に染める姿は愛らしく、これが50歳は若かったら、俺はもうこの場で今すぐにぎゅっとばあさんを抱きしめてしまったことだろう。
傍から見たら、ばあさんを抱きしめる変な若者にしか見えないだろうが。
「ふふ。でも、コウさんが若い姿で来てくれるんだったら、私もこんなおばあちゃんの姿で来るんじゃなかったわ」
ん?今、ばあさんは不思議なことを言わなかったか?
首を傾げる俺に、ばあさんは俺を見上げて微笑んだ。
その姿は、マイナス50歳。
「約束の場所じゃない場所で会えたけれど、あの時の約束が果たせて良かった。こうして、コウさんと手も繋げた。リンゴ飴も一緒に食べられた。吹流しも見ることが出来た。何も、思い残すことはありません」
きゅっと、強く俺の手を握る。
「楽しかった」
そう言って微笑んだばあさんの顔は、元に戻っていた。
皺だらけの顔。
白髪混じりの髪。
くすんだ色をした唇。
でも、俺はこんなに綺麗な笑顔を見たことはなかった。
50歳若ければ、なんて最初は思ったけれど、今だって十分に、ばあさんの笑顔は花のようだった。
「ありがとう」
さらに強く、手を握られる。
けれど次の瞬間、その強さは俺の手からは消えていた。
先ほどまであった冷たさも、目の前にあったばあさんの姿さえも、消えていた。
慌てて周囲を見回すが、どこにもばあさんの姿は無かった。
混乱する頭で考える。
あまりの暑さに、俺は願望を形にしてしまったんだろうか?
妄想するんなら、ばあさんにはずっと若い姿でいて欲しかったけど。
ってことは何か?俺はババ専ってことなのかよ。
……ああ、違う。
ばあさんは、俺の姿が若いと言った。
俺そっくりの誰かと、約束をしていたのだ。若い頃に。
ばあさんは、俺をその誰かと勘違いしたまま消えてしまったけれど。
不意に、ありえない考えが浮かんだ。
……まさか、じいちゃんか?
そういやあ、このシャツ、じいちゃんの形見に貰ったんだっけ。
まさか。
……まさか、な……。
じいちゃんもいない、ばあさんも消えちまった。
ばあさんが誰と約束したかなんて、本当のことはもう分からないけれど。
俺も、結構楽しかったよ、ばあさん。
出来れば次は、若い頃の姿のままで、手を繋ぎたいね。
誰か別の「コウさん」としてじゃなく、さ。
見上げれば、さらさらと色とりどりの吹流しが揺れている。
もう二度と会うことはないだろうけど、こっそりとそんな願いを託した。



<了>

一度はやりたかった七夕もの。
当初の思惑を外れ、大分迷走してしまった気がします(汗)
いつもバスで見かける、オシャレなおばあさんがモデルとなっております。
私以上にオシャレでかわいらしい恰好をいつもしているのです!憧れv
七夕から一月経っているというお声もあるでしょうが、仙台の七夕はこれからが本番なので、良いのです!(開き直り)


2006年08月02日 up





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