no title・2






「は……?」
思わず瑞希は尋ね返した。
「雨の日は好きかね?」
瑞希はその問いに思わず押し黙ってしまった。
それを察したのか、ジイは瑞希の答えを聞く前に話だした。
「ここは、水の国じゃ。帰るためにはどうやっても水を媒介せねばならない。その意味が、分かるかね?」
今度は、瑞希は首を縦に振った。
「水が無ければ、帰れないと言うことですよね?」
ジイはそれに頷いた。
「こちらとあちらを結ぶ媒介となるのが」
ジイはそこで一旦言葉を区切った。
「雨じゃ」
「雨ですね」
瑞希とジイの声が重なった。
ジイはうんうんと首を縦に振る。
「向こうが雨でない限り、おまえさんは帰ることが出来ない。しかし、帰るために必要なのはそれだけではない」
「他に、何が必要なんですか?」
「それはじゃな……」
「もったいぶらんと早く言ったらええやん!!」
痺れを切らしたセアがジイに噛み付いた。
「ジイの話は長くてしょうがないわっ」
「年寄りの話は長いじゃと!?今言おうとしとったんじゃないか!」




「誰も年寄りなんて言うてないやろっ」
「今、年寄りって言うたじゃろうが!!」
二人の様子に瑞希はおろおろとしてしまう。
「あの!!」
瑞希の声に、二人の声がぴたりとやんだ。
「すまん、すまん。セアとは長いこと喧嘩友達をやっとってなあ。ついつい……」
恥ずかしそうにジイは髭を撫で付けた。
「そうやそうや。さっさと瑞希に必要なこと教えたらええの!」
「そうやってお前が横からちゃちゃを入れるからじゃな!!」
「ジイが勝手に言い返してくるから話が進まないんやろ。なあ、瑞希」
瑞希は頷いていいのか分からずにただ苦笑を浮かべる。
「ジイに遠慮することなんてない。はっきり言ってやらな」
「わしだけの所為にするというのか!?」
そのやりとりがあまりにも可笑しくて、瑞希は思わず声を上げて笑った。
ジイとセアは、互いの顔を見ると微笑み合った。
「ふ、二人ともあまり笑わせないで下さい」
声を上げて笑う瑞希に、二人は何だか嬉しくなった。
「笑ったらかわええやないの」
セアがそう言うと、ジイもうんうんと頷く。瑞希はうっすらと頬を桃色に染めた。
三人の間に和やかな空気が流れた。
「……さてと、そろそろ本気で本題に入ろうかの」
それまでとは違った真剣な表情でジイが言った。
その様子に、セアも笑みを引っ込めた。
「帰る方法を教える前に、一つ昔の話をしても構わないじゃろうか?」



瑞希はジイの真剣な表情に首を縦に振った。
「今から話すことはおそらくセアも知らないじゃろう」
その一言に、セアは驚いてジイを見つめる。
「それはな、今から随分と昔の、わしがまだ若い頃のことじゃった」
語りだすジイに、セアと瑞希は真剣な眼差しを向けた。
「その頃はまだ、この国と向こう……瑞希の国とは普通に行き来することが可能だった。
水鏡、つまり向こうで言う水溜りを覗くだけで、こちらに簡単に来る事が出来たのじゃ。
けれど、それが出来なくなったのには理由があってな。
……どこから話したらいいのか、迷ってしまうのお。」
困った顔で笑いながら、ジイは淡々と語り始めた。
「今でこそ暢気にくらしておるが、昔は迷い込んできた向こうの人間を送り返すのがわしの仕事じゃった。
迷い込んできた者は様々じゃった。
帰りたいと言う者。ここにとどまりたいと言う者。
ここにとどまりたいと言う者の多くは、向こうの世界で辛い思いをしてきたようじゃった。
そうした者に役割を与え、ここにとどめることもわしの仕事一環だった。
多くの者はここに馴染もうと必死じゃった。
じゃが、奴だけは違った。
あの日現れた奴の所為で、こちらと向こうの行き来が出来んようになったんじゃ。
そして、その所為で……。」
そう言うと、ジイは辛そうに顔を伏せた。
重い沈黙が流れる。
「あの頃のわしには、恋人がおった。そっちの世界からきた人だった。恋人と言ったが、今でもそう呼んでいいのか分からん」



「だが、わしが彼女を愛していた。それだけは事実じゃった」
ジイは、懐かしそうに遠くを見つめた。
その表情から、瑞希はジイが心の底から「彼女」を愛していたのだということを悟った。
「その彼女ってもしかして……」
今までの態度からは想像も出来ないほど、小さな声でセアは言った。
「知っておったのか……?」
驚くジイに、セアは首を縦に振った。
「知っていたわけやないけど。でも、噂には聞いたことがある」
そこでセアは一度言葉を飲み込んだ。
「……向こうから来た人が、この国を守るために犠牲になったって」
その言葉の重さに、瑞希は息を飲んだ。
「その話は、聞いておったのか」
「せやけど、それがジイと関わりのある人やなんて知らんかった」
「……犠牲って、どういうことですか?その人とわたしが帰る方法と、何か関係があるんですか?」
瑞希の問いかけに、ジイは押し黙った。口にするのが辛いのか、渋い顔をしている。
「……関係、あるんですね?」
何かを言おうとして口を開くが、言葉にすることが出来ずにまた口を噤む。
ジイはそれを何度か繰り返す。
その様子は、肯定しているのと同じだった。
一体、ジイの恋人にどんなことが起こったというのだろうか。
瑞希はそれを尋ねることが出来ずにいた。


ジイの口から出てくる言葉は、瑞希と同じ世界にいた人間がこの世界の均衡を崩したということだろう。
瑞希はそれを聞くのが恐ろしかった。
もしかしたら、ジイは本当はこの世界にやってきた瑞希を快く思っていないのではないだろうか。
だからこそ、帰る方法を教えることをせずに、こうして話をしているのではないだろうか。
悪い考えばかりが頭をもたげる。
「彼女が犠牲になったのは確かじゃ」
ジイは、呟くように言った。
「しかし、それは彼女自身が望んだことじゃった。彼女は、自ら犠牲となることを選んだ。それは、奴が……」
ジイにとって、それを口にすることはひどく辛いことであるようだった。
「この世界の均衡を崩した、奴が。彼女の肉親じゃったからじゃ」
その言葉に、瑞希とセアは息を飲んだ。
「……奴は、彼女の弟じゃった。じゃから、彼女は責任を感じていた。奴は、奴のやったことは、この世界を滅ぼしかねんかった。じゃから、彼女はその身を挺して……」
一度深呼吸すると、ジイは今度は躊躇うことなく口を開いた。
「この世界を守るための、人柱となったんじゃ」
「人柱……?」
瑞希は、呟くように尋ねた。耳に馴染みの無いはずのその言葉に、瑞希は何故か背筋が冷たくなっていくのを感じた。
「見てもらった方が、早いかもしれんな」
ジイは、瑞希とセアを促す。
ジイは、自分の家の扉を開くと、奥へと進んでいく。
瑞希とセアは戸惑いながらも、ジイの後を追いかけた。
何回も扉をくぐり、螺旋階段を降りて、奥へ奥へと進んで行く。
一体何度扉をくぐったのだろうか。
数え切れなくなった頃に、やっとそこにたどりついた。
ひんやりとした空気の立ち込める場所だった。鼻を突くのはカビの臭いだろうか。
簡素な扉の前に、瑞希たちは立っていた。




それは古く、今にも壊れてしまいそうだった。
「ここじゃよ」
そう言うと、ジイはゆっくりとその扉を押し開いた。
その先には―――。
扉の先の光景に、瑞希は思わず口を覆った。
小さな呻き声がもれる。
セアは、その光景を知っていたのだろうか。目を逸らすことなくそれを見つめていた。しかし、ショックは大きかったのだろう。顔色が蒼白になっていた。
「これが、『彼女』じゃ」
ジイが指し示した先には、氷付けにされた人間がいた。
「彼女」は、眠っているかのような穏やかな表情をしていた。肩を揺さぶり、声をかければ今にも目を開きそうだと瑞希は思った。
ジイは、そっと氷を撫でた。
「まるで、眠っているようじゃろ?」
悲しげな笑顔でそう尋ねられ、瑞希は無言で頷いた。
「生きてるの?」
まさかそんなことはないだろうという口調で、セアが言った。
ジイはどちらとも取れるような曖昧な笑みを浮かべる。
「瑞希を向こうに帰すには、この氷を溶かさねばならん。そして、この氷を溶かしてしまえば、閉じ込めておいたものが、全て流出してくる。言っていることは、分かるじゃろ?」
瑞希とセアは、互いに顔を見合わせ、そして頷いた。
「溶かせば、またこの世界は危機に陥る。じゃが、わしはずっとこの時を待っていたような気がする。この氷を溶かせる時を、ずっと」
ジイはそう言うと、じっと彼女の顔を見つめた。
「でも、そしたら……!」





最終更新:2005.05.03



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