けん玉探偵、再び





雑務を終えた僕が、探偵事務所に戻ってくると、部屋の中からはそれはそれは愉快な笑い声が聞こえてきた。
声は、金田一さん(本名は鈴木太郎というごく平凡な名前なのだが、彼はこう呼ばれるのをひどく嫌う。たとえそれが、僕の独白の中だけでの呼びかけであったとしても。バレてしまったが最後、僕は一生彼に罵られ続けることになるだろう。それが恐ろしいので、僕が独白の中であったとしても、彼を金田一明智と呼ぶことをご了承いただきたい)のものだけではなく、年若い女性のものも混じっている。
これは、久しぶりのお客様だろうか。
胸を弾ませた僕は、
「ただいま戻りました!」
と、普段よりも幾分高い声で朗らかに言いながら扉を開けた。
しかし、僕の視界に写ったのは、いつも通りにどこか不機嫌な表情をした金田一さんと、そして、見覚えのある、ふわふわに立巻きロールされた茶色い髪の毛だった。
「・・・・・・絢子ちゃんか」
落胆してそう呟いた僕に、隣のオフィスの事務アルバイトである絢子ちゃんは、頬を膨らませる。
「小林さん、何でそんなに残念そうなんですかぁ?ここに私がいるのが、不満みたーい」
「そうだぞ、小林君。そんな顔では、絢子嬢に失礼ではないか」
二人の言葉に、僕は心の中で「大林です」と、言い返した。
「いやいや、てっきり依頼のお客様だと思ったものだから。絢子ちゃんがいるから不満だとか、そういうことは一切無いよ」
「ホントですかぁ?」
疑うような口調で絢子ちゃんは言ったが、その顔に笑みが浮かんでいるのを見て、僕はほっと胸を撫で下ろした。
「ところで、一体何の話でそんなに盛り上がっていたんだい?」
尋ねると、絢子ちゃんは、ふふと意味深な笑みを浮かべた。
「これですよ。こ・れ!」
そう言って、絢子ちゃんが手にしたのは、けん玉だった。
いつも綺麗にピンク色のマニキュアが塗られている白い手に、それは何とも不自然だった。
「新品同様にこんなに綺麗なのに、金田一さんが20年近くもこれだけを使ってきたなんて、信じられないですよぉ!」
金田一さんは、絢子ちゃんに褒められたのが嬉しいのか、やにさがった顔をしている。
脇で見ている僕は、ただただ苦笑を浮かべるしかない。
絢子ちゃんが信じられないように、20年近く使い続けたけん玉が、新品同様にこんなにも綺麗なわけがないのだ。
第一、金田一さんが初めて手にしたけん玉は、皿は欠け、玉の赤い塗料は剥げ落ち、紐も切れかかるくらいにボロボロになってしまったのだ。

どうして僕がそれを知っているかって?

何を隠そう、僕と金田一さんは、小学校の頃からの付き合いなのだ。


♀♀♀



あの頃――僕らが小学5年生だった頃、けん玉は大流行していた。
クラスの男子も女子も、隣のクラスも、他の学年も。
学校中がまるでとり付かれでもしたかのように、休み時間になるとみんなこぞってけん玉をやっていた。
ちょっとやんちゃな男子であれば、少し練習するだけでけん玉で上手に遊ぶことが出来た。
みんな夢中になって、技を競い合っていた。
僕も、そのやんちゃな男子の一人だった。
色々な技を友達と競い合っていたある日。
僕は、昼休みなのに、一人机に座ったまま黙々と本を読むふけっている少年を見つけた。
「タロくん、けん玉やらない?」
タロくんとは、言わずもがな、金田一さんのあだ名である。
すると、金田一さんは本から目を離し、僕を睨みつけた。
「大林くん。僕は先日君にお願いしたよね?その名前では呼ばないでくれないかって」
「でも、タロくんはタロくんでしょ?」
「とにかく、僕のことは、明智と呼んでくれ!明智と!!」<
ばんと、金田一さんは勢い良く本を畳んだ。
本の背表紙には、少年探偵団と書かれていた。
この頃の金田一さんは、江戸川乱歩を読み耽っており、そこに登場する明智探偵に、何よも憧れていたのだ。
金田一さんが横溝作品を読むようになり、金田一探偵に傾倒するのは、ここから更に数年後。中学生になってからのことになる。
「けん玉、やらないの?」
なおもそう尋ねると、金田一さんは鼻で笑った。
「僕がけん玉なんて、低俗な遊びをやるとでも思うのかい?大体、みんながやっているからといってやるのは、僕の性に合わないんだよ」
そう言って、金田一さんはそっぽを向いた。
「でも・・・・・・」
口の中でもごもごと言って立ちすくむ僕の耳に、「浩介!」と、僕を呼ぶ声が聞こえた。
「友達が呼んでいるよ、言ったらどうだい?」
金田一さんは冷たく言い放つと、机の中に仕舞っていた本と、机の上に出してあった本を抱えて、席を立った。
どちらも分厚くて、両手で抱えなければならないほどだった。
けれど、僕は見てしまったのだ。
本と本の間に挟まれた、丸くて赤い玉を。
見てしまったのだ。


友人の声を無視して、僕は金田一さんの後をつけた。
金田一さんは、三階へと続く階段を上り、図書室の前を――素通りした。
いつもなら、本を抱えた金田一さんは、図書室へと足を踏み入れるはずである。
一人静かに、推理小説に没頭するために。
けれど、金田一さんは、図書室の前を素通りして、立ち入り禁止となっているはずの、屋上への階段の方へと歩を進めた。
僕は、心臓の音が高鳴るのを感じた。
金田一さんは、屋上へ続く階段の前で、きょろきょろと周囲を確認すると、「立ち入り禁止」と書かれたプレートとロープの下を、さっと、勢い良くくぐった。
僕も慌てて、それを追いかける。
階段の前に来たが、そこに金田一さんの姿は無い。
けれど、カツ・・・コツ・・・と、木と木がぶつかり合うリズムの悪い音は、どこからか聞こえてきた。
金田一さんと同じように、さっとロープの下をくぐった僕は、ゆっくりと階段を上る。
屋上の扉の前。
死角になっている踊り場に、僕は階段から、顔半分だけ覗かせる。
そこでは、金田一さんが、こちら側に背中を向けて、懸命にけん玉を振っていた。
ぶんぶんと、振り回していた。
時折、小さく舌打ちする音が聞こえてきた。
金田一さんの名誉のために言っておくが、金田一さんは決して、勉強だけが得意な文学少年ではない。
運動会のリレーの選手には毎回選ばれているし、体育の成績も4である。
中学、高校時代は、陸上部でトップクラスにいたほどだ。
では、今目の前に広がっている光景を、どう説明するのか。
もう、こう言うしか無いだろう。
あの時、この光景を見た僕は、確かに、そう思ったのだ。
金田一さんは、類い稀なる、

「けん玉音痴」

なのだと。
そんな言葉が、あればの話だが。
不意に、金田一さんがこちらを向いた。
金田一さんが振り返ることなど予想だにしていなかった僕は、隠れることも出来ぬまま、ばっちりと目を合わせてしまった。

これは、まずいぞ。
何と言葉に出そうかと考えあぐねていると、金田一さんが、口をぱかりと、まるで鯉のように開けているのが目に入った。
そして、みるみるうちに、全身が朱に染まっていった。
「こ、こ、こんなところで、何をしているんだい、大林くん!」
金田一さんは必死に、何とかそう口にすることが出来たが、面白いほどに声は裏返っていた。
金田一さんが取り乱す姿を見たのは、後にも先にも、これ一度きりだった。
今にして思えば、なぜあの時、写真なり何なりに収めておかなかったのかと、悔やまれてならない。
もしも、この時の映像があれば、いつだって、金田一さんを瞬時に黙らせることが出来るだろうに。
「えっと、タロ・・・・・・じゃなかった、明智くんを、追いかけて」
取り乱しているというのに、金田一さんは「タロくん」と呼びかけようとした僕を、睨むことだけは忘れていなかった。
「追い、追いかけて来て、僕のことを笑いに来たのかい!?」
金田一さんの拳が、ぶるぶると震えているのが目に入った。
慌てて、「違うよ!」と言ったが、金田一さんは聞く耳を持たない。
僕の言葉を無視して、勢い良くまくし立てる。
「どうせ、僕はけん玉が下手さ!その上、それを人に知られるのも、人に教えを乞うのも嫌いな、鼻持ちならないガキさ!それの何が悪いというんだ!誰にだって、不得意なものはある。
じゃあ聞くが、君は何事も全て完璧にこなせるというのかい?どうなんだい、んん?教えてくれたまえよ、大林くん!」
自分を卑下しているのか、開き直っているのかよく分からないことを言いながら、金田一さんは叫ぶ。
自分のことを「鼻持ちならないガキ」であると理解しているという点においては、金田一さんは僕らの中の誰よりも大人だった。
「なんだい、答えられないのかい?ふん、完璧な人間なんているわけが無いんだよ。天は二物を与えず、だ。まあ、僕は二物三物与えられているけれどね。だから、けん玉が出来ないくらい、なんてことはないのさ。聞いてるのかい、大林くん!」
一人まくし立てている金田一さんに、僕は恐る恐る尋ねた。
「僕で良かったら、けん玉、教えるよ?」
けれど、その一言は金田一さんの自尊心をいたく傷つけてしまったようだった。
今度は、羞恥の為ではなく、怒りで顔が朱に染まっている。
金田一さんは、持っていたけん玉を床へと叩きつけた。
「き、き、君に教えてもらうだって・・・・・・!?」
「ちちち、違うよ!僕が、どうしても。どーーーーしても!!タ・・・明智くんとけん玉をやりたいだけなんだ。無理にとは、言わないよ。でも、一緒にやれたら、良いなあって。・・・・・・ダメ、かな?」
怒り狂う金田一さんを見てしまい、慌てた僕は、咄嗟にそんなことを口にしてしまっていた。
この時こんなことを口走りさえしなければ、今の関係は無かったものを。
もしも過去に戻れるのなら、この時の僕の口を塞いでやりたいくらいだ。ホッチキスで閉じるか、針と糸で縫いつけてしまいたい。
ああ、でも痛いのは、僕だけなのか。
僕には、こんな言葉で金田一さんの機嫌が直るとは思えなかった。
けれど、金田一さんはそれまでの般若のような形相を、けろりと元に戻したのだった。
「君がそこまで言うのなら、やってあげないこともないけれどね」
腰に手を当て、ふんとそっぽを向いた金田一さんが耳まで真っ赤にしているのを、僕は見逃さなかった。
この頃から、金田一さんは尊大で意地っ張りで見栄っ張りで、そして、時おり素直さを垣間見せる、今と何ら変わりの無い、金田一さんそのものだったのだ。
その日から、僕の懇願(不本意だが、そう言うしかない)による金田一さんとの秘密のけん玉遊びが始まった。
放課後、他の人に見つからないようにこっそりと屋上へと続く階段へとやって来ては、2人でカツコツ、けん玉を練習したものだった。
金田一さんが、「もしかめさん」という玉を大皿と中皿、または小皿とを往復させる、という技を身につけたのは、それから半年が経った頃だった。
その頃には、すっかりけん玉ブームは去ってしまっていたけれど、それでも金田一さんは満足そうだった。
「出来た!出来たよ!!」と、諸手を上げた金田一さんのあの歓喜の表情は、僕の心のアルバムの中に、大事に仕舞われている。
金田一さんから理不尽な要求をされる度に、それを引っ張り出しては、気持ちを落ち着かせているというのはここだけの話だ。
金田一さんは、けん玉が出来るようになったのがよっぽど嬉しかったのか、「もしかめさん」が出来るようになってしばらく経ったある日、僕にそっと紙包みを差し出した。
僕は、訝しげにそれを受け取った。
「いらないなら、別に無理はしなくて良いんだよ」
「いる!いるよ!」
というやり取りが、もちろんあったわけだけれど。
包み紙を開けると、そこからは真新しいけん玉が出てきた。
けんの部分に色が施された、僕が持っているものよりも立派な造りの物だった。
「僕のを買い換えるついでがあったものだからね」
思いもよらなかった嬉しさに喜び、驚く僕に、金田一さんは素っ気無く言ったけれど、やはり耳は真っ赤に染まっていたのだった。


♀♀♀



「知っているかな、絢子嬢」
金田一さんは、もったいつけるように、絢子ちゃんに問いかけた。
絢子ちゃんの目に興味の色が宿ったのを見ると、金田一さんは続けた。
「けん玉というのは、日本発祥では無い、ということを」
「ええ!?そうなんですかぁ?」
絢子ちゃんは、これでもか、というほどに驚いて見せる。
この反応の良いところが絢子ちゃんの長所であり、金田一さんが彼女をしょっちゅうこの事務所に引っ張りこむ理由の一つである。
「元々は、カップアンドボールと言って、ヨーロッパで使われていたものなのだよ。フォルムが、どこかしら、西洋的だろう?」
「言われてみると、そうかなぁ?日本じゃないなんて、びっくりですぅ」
感心して、手にしているけん玉をまじまじと見つめる絢子ちゃんに、金田一さんは、なおも薀蓄を披露する。
「日本に入って来たのは、江戸時代の終わりだね。最初は、大人の遊びだったのさ」
それにもまた、絢子ちゃんは大げさに驚いて見せる。
金田一さんは、それに気を良くして、またべらべらと喋り出す。
こうなったらもう、誰にも止められない。
それを脇で眺めやりながら、僕は思った。
あの時、記念にと貰ったボロボロになったけん玉を、僕が今でも大事に持っていると言ったら、金田一さんはどんな反応をするだろうか、と。
きっと、「何のことだい?」と、そらとぼけるに違いない。
後一時間は終わらないだろうな、と、僕は雑務を片付けるために、自分の机へと移動した。
絢子ちゃんが、けん玉についての知識を十分に得て帰って行ったのは、予想通りに、それから一時間後のことだった。
あの長話に付き合いながらも、気力を失うことなく、元気に帰って行った絢子ちゃんの後姿に、僕は尊敬の念を禁じえなかった。
話に付き合わずにいた僕の方が、ぐったりきているとは、一体どういうことなんだろうか。
絢子ちゃんの飲んでいたカップを片付けようと席を立った僕に、おもむろに金田一さんが声をかけてきた。
「小林くん」
また無理難題を吹っかけてくる気か、と身構えて返事をした僕に、問いかける。
「例の・・・・・・アレは、今も、君のところにあるんだろ?」
一瞬、アレが何を指すのか分からなかったのだが、金田一さんの視線が彷徨っていることから、何なのかすぐに思い至った。
何だ、しっかり覚えているんじゃないか。
僕は、何故だか頬が緩むのを感じた。
「もちろん」
そう言うと、金田一さんは、満足げに微笑んだのだった。



2006年11月10日 携帯サイトにup
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