1/11 ジュウイチブンノイチ
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濁った眼をしていた。 死んだ魚のような眼。 明日死んでも良いと思っていた。 変わりばヲのしない「今日」にうんざりしていた。「今日」から抜け出したかった。 昔、何かのクイズ番組でこんな問題があった。 「もしもヒトラーが生き返ったら、世界はどうなる?」 答えは、「世界の人口が一人増える」だった。 その時、妙に納得したのを覚えている。 ああ、所詮そんなものなんだ。 だから、私が死んだところで、世界の人口が一人減るだけ。大した変化なんて訪れない。 変わりばえのしない「今日」が続くだけ。 ◆ 電車を待つ間は、手持ち無沙汰になる。 通学用の鞄には、きちんと教科書が詰まっていて重く、クラスメイトのように本や化粧品を入れてこれ以上重くする気にはなれない。 ただぼーっと、線路を眺めるだけだ。 少し離れたところで、おばさん二人が大声で取り留めのない話をしていてうるさい。 人に会話を聞かれて恥ずかしくないのだろうか。それも、近所の人の悪口なんて。もしここにその人の知人がいたら、どうする気なのだろうか。 おばさん達のうるさい声を遮断するために、私は線路に目を戻した。 線路の奥は暗く、その先には何があるのだろうかといつも思う。別の世界に繋がっているのではないかという錯覚を起こす。 線路に降りて歩いて行ったら、別の場所に行けるのではないだろうか。 電車は駅と駅の間で別の世界を通ってくるのだが、闇の所為で私たちはその世界を見ることができないのではないか。 じっと見つめていても、闇は答えない。 私は一人、その先に何かあるのではないかという妄想に意識を浸す。 が、急に大きな笑い声が聞こえてきて、私は妄想を中断させられた。 笑い声の主を確認すると、予想通りあのおばさん達だった。 それは笑い声というよりむしろ、騒音だった。 私がそちらを睨みつけても、おばさん達は全く気づく様子がない。 周囲の人間が不快な思いをしているということに、何故気づかないのか。 おばさん達をうるさいと感じていたのは私だけではなかった。おばさん達の向こうに、こちらをしかめ面で見ている男の人がいた。大学生くらいだろうか。 その人はおばさん達から視線を逸らすと、線路を見つめた。私と同じように、線路の先に思いを馳せているのだろうか。 線路を見つめていたかと思うと顔を上げ、周囲を見回した。すると、ホームから線路に降り立ってしまったのだ。 驚いた。自殺でもする気なのだろうか。 おばさん達は話しに夢中で、そのことに気づく様子も無い。 線路を覗き込もうとした時に、アナウンスが流れた。 「まもなく電車が到着いたします。危険ですから、白線の内側に下がってお待ち下さい」 電車が来てしまう。あの人は死んでしまうのだろうか。 音をたてて電車は入ってくる。 早く。早く。 目の前で扉が開いたが、私は乗り込まなかった。そのまま、男の人がいた場所へと小走りで近づいて行った。 早く、早く出発して。あの人は無事なのだろうか。 線路を覗き込んだら、そこには血塗れのぐっちゃぐちゃになった死体があるのではないか。手や足はあらぬ方向に折れ曲がり、もしかすると千切れているかもしれない。 扉が音を立てて閉まった。そして、ゆっくりと電車が動き出した。 私は、すぐさま線路を覗き込んだ。 ―――いない。 そこにはぐっちゃぐちゃの死体は無く、かと言ってあの人の無事な姿があるわけではなかった。 誰もいないのだ。ただ、線路があるだけだった。 私の見間違いだったのだろうか。でも、視力には自信がある。 それでは、あの人はどこへ? 私は、線路の奥―――暗闇に目をやった。 考えられるのは、それしかない。 私は、その場から動けなかった。どうしても、動けなかった。 あの人が線路の闇の中で何を見つけてくるのか。それを知るまでは動けなかった。 この駅に戻ってくるかもしれないし、戻ってこないかもしれない。 途中で、電車に轢かれてしまう可能性もあるだろう。 それでも、待っていたかった。 私と同じように暗闇の先に何かを求めていたかもしれないあの人を、待っていたかった。 私は、壁に寄り掛かって暗闇を見つめる。 期待と不安が混じる。 電車が、また1本ホームに入ってきた。 あの人は轢かれていないだろうか。無事だろうか。 何故、あの人は線路に降りてみたのだろうか。 あの先に、何かあるのを知っていたのだろうか。 電車が駅を発ってからしばらくしてからだ。 不意に足音が聞こえたような気がした。 空耳だろうか? 耳を澄ましてみる。 やはり、足音が聞こえる。それも、闇の向こうから。 戻ってきた! 何故だか私はとても嬉しくなった。 早く。早く戻ってきて。 足音はどんどん近づいてくる。そして―――。 その人は、戻ってきた。 肩で息をして、真っ青な顔をしていた。頬には、涙のあと? 私を見つけると、力が抜けたかのようにその場に座り込んでしまった。 何を見てきたのだろう。 怯えた顔をするような何かが、この先にはあるのだろうか。 本当に別の世界にでも繋がっているのだろうか。 声をかけようと口を開いた時だ。 誰かが呼んできたのだろう、駅員がやって来てその人をホームに登らせると、そのまま連れて行ってしまった。 私の前を通り過ぎていく時も、その人の瞳は怯えた色を湛えたままだった。 膝が少し震えていたのを、私は見逃さなかった。 電車が、また1本駅に入ってきた。 仕方が無く、私はそれに乗り込んだ。 乗り込む時に、ちらりと線路の奥に目をやった。 そこには相変わらず、暗闇があるだけだった。 ◆ あの人は一体あの闇の中で何を見てきたのか。 私は、近い内にそれを確認するために、線路へと降り立つだろう。 そして、私もあの人のように何かを見るのだ。 怯えるくらいの、顔色が変わるくらいの、膝がふるえてしまうくらいの、何かを。 それは、変化の予感。 変わりばえのしない「今日」から、抜け出せるのではないかという予感。 いつ線路に降り立つか。 毎日、そればかり考えている。 <了> |
special thanks:THE FOOL'S SKY様
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